【川原一彦の世相講談 (2)】石鹸と、ストローと、“形式的なエコ”の構造



1. 液体ボディーソープという選択と「花王ホワイト」の圧倒的な合理性
大津太郎:川原さん、今回は身近な日用品である「石鹸」についてじっくり伺いたいんですが、世の中ではすっかり液体ボディーソープやおしゃれなシャワージェルが主流じゃないですか。あれってどうなんですかね?あ!その前にだいぶ髪が伸びましたね。
川原一彦:いや、だいたいやね、竹村さんの親族に怒られるかと思ったら、伯母が私の健康を心配しとると親族から連絡がきたわけですよ。これはいかんと思うてね、植えてきたところですよ。ボクに言わせればね、液体ボディーソープというものはメーカーのマーケティング的なアプローチに少し乗っかられすぎていて、日用品としての本質を見失っているケースが多いわけですヨ。成分表の最初にあるのは何だ? 水ですよ、水。わざわざ重くてかさばる水をわざわざボトルに詰めて流通させているわけですから、効率面で少し疑問が残ると言わざるを得ない。その点、固形石鹸は余計なごまかしが一切利かないからこそ、正直で経済的なわけです。
大津太郎:いろんな高級石鹸もありますけれど、結局どれを選ぶのが正解なんですか?
川原一彦:世間一般ではオーガニックだのインポートだののブランドがチヤホヤされていますけど、毎日の消耗品で大事なのは「いつでも手に入って、品質が安定していて、余計な主張をしないこと」です。そこで行き着くのが、花王の「ホワイト」ですよ。あのキメ細かな泡立ちと、洗い上がりのキュッとした潔さ。近所のドラッグストアに行けばいつでも手に入る、この圧倒的なコストパフォーマンスに勝るものはありません。
大津太郎:確かに、下手に高いものより安心感がありますよね。ちなみに、それに対抗できるものってあるんですか?
川原一彦:一つは牛乳石鹸の「青箱」です。あのサッパリした洗い上がりと庶民の味方感は脅威だし、もう一つは「ミューズ」。おしゃれさのかけらもない代わりに、雑菌対策としての確かな信頼感がある。この3つの定番さえ押さえておけば、他を探す必要なんて一切ないわけです。
2. 全身これ一つ! 小さくなった石鹸を合体させる「無駄のない知恵」
大津太郎:石鹸のいいところって、頭から顔、体までこれ一つで丸ごと洗えるところですよね。
川原一彦:あなたそりゃね、全身これ一つで済む人間が一番強いわけです。多くの方々は「詰め替え用」という言葉に少し引きずられて、湿気のこもったお風呂場でぬるぬるになったプラスチック容器に液を継ぎ足しているでしょう。あんなものは容器の底に雑菌が残るリスクもあるし、最後の一滴を絞り出すのに煩わされる。
大津太郎:衛生面でもコスト面でも、あまりスマートなやり方ではないですよね。
川原一彦:それに比べて、固形石鹸の何が素晴らしいって、「小さくなった石鹸を次の新しい石鹸にペタッと引っ付けて一体化させる」、あの知恵ですよ。お風呂場で小さくなった最後の欠片を水分でキュッとくっつけておくだけで、何の手間もなく最後まで1ミリも無駄にせず使い切れる。あの全方位的にスキのないシステムに比べたら、現代のプラスチック容器に依存した生活なんて足元にも及ばないわけですヨ。
3. 紙ストローという「形式的なエコ」の議論
大津太郎:無駄を削ぎ落という意味では、最近よく言われる「エコ」のあり方についても考えさせられますよね。例えば、以前話題になった「紙ストロー」なんて、まさにその象徴的な事例じゃないですか。
川原一彦:あれの効率性については、少し冷静に検証すべき点が多いわけです。紙ストローはプラスチックの10倍の重さがある。ということは、輸送にかかるエネルギーも比例してかかってくるわけで、本当にトータルで環境負荷が低いのかという話が残るわけです。
大津太郎:カメの鼻にプラスチックのストローが刺さっている写真を見せられて、「紙なら自然に帰るから安心」みたいな論調もありましたよね。
川原一彦:だいたいやね、万が一、紙ストローがカメの鼻に詰まってみなさいよ。水分を含んでどんどん膨張してくるでしょうが。溶けるまでの間にそんなもん耐えられるわけがない。紙でもプラスチックでも痛いことには変わりはないわけでね。
4. 本当の「エコ」とは何か? 小手先ではなく基本の徹底を
大津太郎:素材を表面上だけ変える前に、もっと根本的なマナーや合理性を考えるべきだということですね。
川原一彦:そういうことよね。商売の前に、「ゴミは持ち帰りましょう、ゴミ箱に捨てましょう」という当たり前のマナーやモラルを社会全体に浸透させる方にリソースを割くほうが、よっぽど建設的なんです。ストローの素材をわざわざ重いものに変えたところで、基本的なモラルがおろそかになっていては意味がない。企業や行政も、表層的な対応に終始するのではなく、生活者の意識や教育といった根っからの部分にアプローチしていくべきなんじゃないですかね。
大津太郎:本質的な合理性と生活の知恵こそが大事だと。
川原一彦:そういうことです。そもそも、石鹸なんて一回当たりの洗浄単位で考えたら、重い水を大量に含んだボディーソープよりも確実に目方は軽いわけです。つまり、輸送や流通にかかるエネルギーの時点ですでに圧倒的にエコなんですよ。小手先の小細工で形だけの環境配慮を演出するよりも、昔からある日本の固形石鹸のほうが、よっぽど本質的な合理性を持っている。物事の本質ってやつをね、もっと冷静に見極めなきゃいけないんだよね。
あとがき
お風呂に入るとき、洗面器の端っこにいつもポツンと取り残されたような、前の石鹸のペラペラの残りカスが落ちている。あれを見ると、なんだか切ないような、でも「ここまで綺麗に使い切ったぞ」という、妙に誇らしいような、変な気持ちになる。
今回の対談を読んでいて、私はふと、うちのじいちゃんが昔「石鹸なんて牛乳のやつか白いやつのどっちかで十分だ」と言いながら、いつもお風呂場でゴシゴシ体を洗っていた姿を思い出した。
世間ではなんだかんだとおしゃれなボディーソープが流行ったり、「地球に優しい」とか言って紙のストローが出てきたりして、みんな大忙しだ。カメの鼻がどうとか、トータルの輸送費がどうとか、大人の人たちは難しい顔をして真剣に頭を悩ませている。
だけどさ、実際にお風呂場で泡まみれになりながら、「あー、やっぱり花王ホワイトってすげえな、キュッとして気持ちいいな」ってしみじみ思うその瞬間には、そんな小難しい理屈なんてどこかへ吹っ飛んでいっちゃうんだよね。
重い水をわざわざボトルに詰めて運ぶのがどうとか、難しいことはよくわからないけれど、小さくなった石鹸を新しいやつにペタッとくっつけて、最後まで1ミリも無駄にせずに使い切ったときのあのスッキリ感。あれこそが、人間がもっている一番素朴で正しい生活の知恵なんじゃないかって、私は思うのだ。
難しい言葉で怒る川原さんはちょっと怖そうだけど、言っていることは案外、昔からのおばあちゃんの知恵袋みたいなものと繋がっている気がする。
今日も今日とて、お風呂の湯気のなかで、私はせっせと石鹸を泡立てている。 世の中がどんなにめまぐるしく変わっても、お風呂上がりのサッパリした肌の心地よさだけは、いつの時代だって私たちの味方なのだ。
(桃田桜子)
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